刀剣解説 大野義光(花刀)編

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このコーナーは過去に月刊コレクション情報にてご紹介した説明ページを再掲載したものです。
今回は備前伝丁子刃の探究とその美しさに於いては他の追随を許さず、世上、『大野丁子』と呼称される華麗な丁子乱れを得意とする名工、大野義光刀匠による一風変わった花刀をご紹介します。

花刀 
(刀身銘)弄花香衣満 越後国義光作
為島倉勇吉氏
昭和六十二年八月

片刃造り(かたきりはづくり)、平棟低い(ひらむねひくい)。鍛え(きたえ)、細やかに上品な肌立ちを見せる小板目肌(こいためはだ)は、地沸(じにえ)を厚く付け、地鉄精良。刃文、腰開き(こしびらき)気味の重花丁子(じゅうかちょうじ)を焼き、匂い口(ぬおいくち)明るく締まって冴える(あかるくしまってさえる)。帽子(ぼうし)、湾れ込ん(のたれこんで)で烈しく沸付き(にえつき)、先掃き掛け(さきはきかけ)長く返り、棟寄り(むねより)を棟区(むねまち)まで焼き下げる。茎生ぶ(なかごうぶ)、先栗尻(さきくりじり)、鑢筋違い(やすりすじちがい)。銅ハバキ(刃側銅磨き地(はがわ、銅みがきじ)、棟側(むねがわ)に金磨き地(きんみがきじ)を着せる(きせる)。時代研磨(時代研摩)。白鞘入り(しろさやいり)。

義光は、大野三男と言い、昭和二十三年、現在の新潟市西区大野町に生まれ、昭和四十四年、吉原義人(よしわらよしと)門下に入り、昭和五十一年に独立して地元黒埼町に鍛刀場を設立、昭和五十二年、結婚を機に吉川姓となり、東京に移住しました。この年から昭和六十二年まで、新作名刀展に於いて、高松宮賞五回始め毎年受賞、昭和六十二年六月、無鑑査(むかんさ)に認定されました。丁子刃(ちょうじば)の美しさに於いては他の追随を許さず、世上、『大野丁子(おおのちょうじ)』と呼称されます。また国宝『山鳥毛(さんちょうもう)』写しを始めとした、備前古名刀写し(びぜんこめいとううつし)を次々と世に送り出す、昭和、平成を代表する名工です。本作は昭和六十二年八月、三十九歳の頃の作、無鑑査認定直後の作であることが分かります。いわゆる花刀(花鉈)と呼ばれる特殊な形状の短刀で、本作のように特注品か、或いは刀剣製作の余技として作られるような珍品の部類に入るかと思われます。新々刀期(しんしんとうき)では大慶直胤(たいけいなおたね)、月山貞一(がっさんていいち)、中山一貫斎義弘(やまなかいっかんさいよしひろ)などに現存作があります。上品な肌立ち(はだだち)を見せる小板目肌(こいためはだ)に腰開き気味の重花丁子刃(じゅうかちょうじば)を焼き、刃中匂い深く(はちゅうにおいふかく)、飛び焼き(とびやき)を交え、匂い口(においくち)明るく締まっています。大野義光(おおのよしみつ)の真骨頂と言える『大野丁子(おおのちょうじ)』を放胆に焼いており、地刃も冴え渡って(じばさえわたって)います。帽子(ぼうし)の返り(かえり)は長く細く、棟寄り(むねより)を棟区(むねまち)まで焼き下げています。刀身に刻まれた『弄花香衣満』は、『花を弄(ろう)すれば香り衣に満(みつ)』と読み、唐時代の詩人、于良史(うりょうし)の『春山夜月』にある一節です。いわゆる禅語で、『花と戯れていると、その香りが衣服に移っていつまでもその芳香を楽しむことが出来る。花の香りを仏の教えとするならば、それに触れれば、自ずと仏の教えに包まれる。仏と自分はそれぞれ別々のものでありながら、一体となる無我の境地』の意。ある種これもお守り短刀と言えるでしょう。花刀は通常余技的な意味合いが強く、正直出来の良くない物が多いのですが、ハバキ等を見ても手の込んだお洒落な仕上げになっていることからも分かるように、本作はむしろ入念作、やはり注文打ちだけに丹精込めて作ってあります。無鑑査大野義光による何とも贅沢で美しい花刀、『大野丁字』の魅力をご堪能いただけます。

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