刀剣発祥の地 大和当麻寺を訪ねて
最も古く栄えた刀剣の発祥の地は大和国、現在の奈良県の辺りです。七世紀に始まる律令国家は寺社と共に栄え、多くの僧兵を抱える需要から倭鍛冶部と云われる刀匠が生まれ、唐太刀、高麗剣と呼ばれる輸入された刀剣ではない大和民族特有の刀剣が造られるようになります。大和伝には寺社の僧兵に刀剣を供給する為に栄えてきた歴史があるのです。
主には、大和五派と云われる刀工集団がそれぞれ力ある寺社の下で作刀し供給しています。
大和五派とは
「千手院(せんじゅいん)派」
「保昌(ほうしょう)派」
「手掻(てがい)派」
「尻懸(しっかけ)派」
「当麻(たいま)派」
の五派です。
それぞれ千手院は千手谷、手掻派は東大寺転害門あたり、尻懸派は手向山八幡宮とは云われていますが、はっきりとは分かっていません。唯一寺社の名前の残る当麻派はその始祖が当麻寺周辺で作刀していたことが分かっています。
今回は刀剣の発祥の地大和当麻寺を訪れてみました。早春の風もさわやかに当麻寺駅を下車し、参道を歩いてゆくと大和高田バイパスにぶつかる辺りから二上山の雄岳、雌岳からなるなだらかな稜線を望むことができます。東方より昇る太陽が沈みゆくところ、古来より人々は来生極楽浄土への思いを重ね合わせ、二上山の落陽は大和信仰の原点でもあると云われており、その山麓にある当麻寺を訪れることへの期待が益々高まります。駅から十五分から二十分位で当麻寺の入り口である東大門に着きます。仁王像に守られたと門をくぐると、正にそこは天平の地、静かな佇まいの中ゆるやかに時間が流れています。
当麻寺は推古二十年(六一二)に用明天皇の皇子麻呂子親王が兄聖徳太子の教えにより、河内国山田郷に萬法蔵院禅林寺を草創、七十年後、親王の孫にあたる当麻国見がこの地に遷造し、天武九年(六八一)に金堂、講堂、千手堂、東西両塔等を造営し当麻寺と改めたと当麻寺草創にあります。
当麻寺には中将姫伝説で有名な蓮糸曼荼羅、厨子(国宝天平期)、十二面観音菩薩(重文弘仁期)、弥勒仏(国宝白鳳期)持統天、不動明王、等々、国宝、重文級の素晴らしい仏像彫刻を見ることが出来ます。そして何よりも千年の時を経て何事も無かったかの如くそびえたつ東塔と西塔(国宝天平期)、創建時より現存するのは当麻寺のみと云われています。
また、時代は下がりますが、鎌倉期に造られ、桃山期に片桐石州により造営されたと云われる大和三名園一つ中之坊庭園があります。
四季折々の花が咲き乱れ、国宝東塔を借景にした巧みな構図は絶景です。
山の中腹に造られた基軸のずれた伽藍配置の建物、一夜にして蓮の糸で曼荼羅を織り上げたという中将姫伝説、千年余の時を経た双塔、すぐ間近見ることの出来る仏像彫刻、美しい庭園、全てが素晴らしく、それらが一カ所にあることで何とも言えない独特の妖しく謎にめいた雰囲気を醸しているようにさえ思えます。
多くの国宝指定物のある古刹ですが、南大和のあまりアクセスの良くない所にあるため訪れる人も多くなくそこがまた魅力です。梅から桜、牡丹、紫陽花と美しい花々に彩られる季節には、静かで自然溢れる佇まいの当麻寺は訪れる価値ある名刹です。
■今回訪れたところ■
当麻寺
HP: http://www.taimadera.org/
住所 : 〒 639-0276 奈良県葛城市當麻1263
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