刀剣旅日記 第2回

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海のある奈良 小浜 冬広の里

季節を忘れたかのように穏やかで静かな小浜湾は、波は凪ぎ、柔らかな光に霞んでいた。若狭袖崎の小浜ロッジからの眺めは、恋人と夢を語り合う場所に相応しく、まさか拉致などという恐ろしき事に遭遇する所とは夢にも思えない場所である。
今回の旅日記は、海のある奈良として、奈良、平安の頃より栄えた、悠久の里、福井県小浜を訪ねた。
古の昔より、都へ若狭の海の幸「御贄(みえに)」を天皇家へ納める御食国(みけつくに)として栄え、平安時代以降には大陸、日本各地の物産を京に運ぶ重要な地として栄えたと云われている。
この町で何より驚かされるのは寺の多さである。人口三万のこの小浜には百を超える古寺がある。創建が平安、鎌倉期のものが殆どでこの町の歴史の古さが窺える。

▲明通寺 国宝三重塔

最初に訪れたのは、八百六年、坂上田村麿の創建と言われる明通寺。現存の堂塔は本堂、隣接する三重塔共に、鎌倉中期の再建であり国宝である。桧皮葺き造りの建物は中央のものに劣らぬ厳かなで優秀な密教建築である。いずれも藤原期のものと伝えられている重要文化財の仏像が四体、特に不動明王立像は力強く魅力的だ。人里離れ、杉木立が鬱蒼と茂る静かな境内は、降り積もった雪が綺麗に雪掻きされ、長い石の階段も難なく上る事が出来た。
次ぎに訪れたのは、奈良東大寺の二月堂への「お水送り」の寺、神宮寺、明通寺から車で十分程のところにある。創建は七百十四年、何度もの焼失に遭うも再建され、現在の建物は天文期のものである。若狭と奈良は地下で結ばれていると古来より信じられており、ここの「若狭井」からの湧き水が「お水送り」され、十日間かけて大和に春を告げる神事「東大寺二月堂のお水取り」となる。三月二日には松明を炊き、鵜の瀬へ向かう静と動、火と水の華やかな神事行われるという。正に悠久のロマンを感じさせる場所である。

▲鵜の瀬

最後に訪れたのは、羽賀寺、奈良時代行基の創建とされる有名な古刹である。この寺には、幾多の大きな災害を越えて奇跡的に伝えられた貴重な十一面観音菩薩像がある。女帝元正天皇のお姿を写した像として、長い間秘仏とされていたため、当初の華やかな色彩が残されており、比類なき美しさと気品をたたえている。たった一人の訪問者の為に、重い扉を開けていただき、観音様を拝観することが出来、丁寧な解説も聞くことが出来た。

▲羽賀寺

古い歴史のある若狭には、密教から、交易から、中央より多くの刀工が移り住んだと思われ、古くは山城から来派が移住し越前来千代鶴派を為し、相州からは広次門冬広が移り住み、初代若州冬広を名乗り、幕末期まで続いている。小浜住と銘したものも数多く見受けられ、相伝を代々伝えている。
若州冬広とは、この地で作刀されてきた刀なのだと、小浜を訪れ感慨深いものがあった。
寒いこの季節だからか、どの寺も町も訪れる人は殆どなく、靜かで少し寂しげであった。町のパンフレットも食を中心にした案内が多く、奈良、京都にも匹敵する文化財の里とはあまり宣伝されていない。オバマ、オバマと騒がずとも、これだけ史跡、文化財、美しい海があればもっと多くの人に知られても良いはずである。
若州冬広の作刀地を知りたいことから始まった今回の旅は、隠れ里を見つけたような実に感動的で癒される旅であった。
是非とも訪れて頂きたい。
もちろん海の幸は美味!

■今回訪れたところ■

明通寺
HP: http://www1.city.obama.fukui.jp/category/page.asp?Page=96
住所 : 〒917-0237 福井県小浜市門前5−21

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