何故武器であった日本刀が残されてきたのか

刀剣考察

コロナ禍の中、刀話でもありませんが、こんな時代だからこそ、日本人にとって日本刀とは何であったのか考えてみたいと思うのです。

平安、鎌倉期と言えば、今から千年近くも前のことですが、日本刀の黄金期と言われる鎌倉の刀もかなり多く残されているのです。国宝、文化財に指定されているものばかりではなく、何の鑑定も付いていない刀剣でさえ、鎌倉期と見立てることのできる刀剣を見ることがあります。そのように発見された日本刀が、重要刀剣に指定されたり、特別重要刀剣に指定されたりしているのです。

太刀 銘:備州長船政光 応安二二年十月(以下切れ)

では何故、21世紀を迎えた今でもこんなに多くの日本刀が残されているのでしょうか。武士の腰にあって使われてきた刀が、何故このように健全な形で残されているのでしょう。

確かに日本刀は、時代々の戦闘方法により、長さを変え、反りを変え、身幅を変えて、実用に使われてきたことは確かですが、激しい戦闘で多く使用されたのであれば何故長い歴史を経て現代に生きているのでしょうか。

それは恐らく、多くの激しい戦闘の大勢を決する主要な武器ではなかったからではないでしょうか。映画やテレビで見る戦闘風景では、弓隊がまず矢を放ち、そして多くの兵が槍や薙刀を掲げ、突進するシーンを多く見かけます。また、時代を下ると火縄銃がとって変わり、最前線には火縄隊がいます。幕末争乱期にも菅打銃、大砲まで出現し、兵士の腰には刀はあるものの殆ど使用されなかったのではないかと思われます。最後の死闘となれば、刀、脇差、鎧通しなどが使われたかと思いますが、名刀を佩いた大将や上級武士にその機会は少なく、自刃には短刀、懐刀、脇差等がつかわれたのではないかと想像されます。

歌川豊宣作「大塔宮吉野落図」

むしろ日本刀は、身分の象徴であり、家格のしるし、名誉の証として、所持することに意味があったと考えられます。

さればこそ、21世紀の今日までこのように健全な状態で残されているのです。ですから、殆どの日本刀は、血を帯びたりしたこともなく今にあると言えるのです。特に江戸期の日本刀などは、試斬り金象嵌や斬り付け銘のないものはまず使用されたとは思えません。大東亜戦争時にも多くの軍刀が作られて軍刀拵えが誂えられたり、昔からのお家の刀が軍刀拵えに入れられたり、軍人には無くてはならないものとして腰にありましたが、実用と言うより精神的なよりどころとして存在していたものと思われます。

千年余の歴史の中を綿々と受け継がれてきた日本刀、為政者の最も大切な誇りとして受け継がれてきたものも日本刀です。日本刀には、鎌倉時代から鑑定家がいたとされ、為政者の下、時代毎に記録として残されてきており、日本の歴史の中で歴史遺産として日本刀ほど確実に研究し尽されてきたものはありません。製作年の記された文化財が他にあるでしょうか。鎌倉、南北朝、室町、江戸と年号の刻されたものが残されています。

短刀 銘:備州長船景光 嘉暦二年三月日

日本刀はただ単に武器としてではなく、日本人の精神の象徴なのです。意を決し挑戦する時、護る時、祈る時、いつも日本人の手には日本刀があったのです。

受け継がれて来た文化遺産である日本刀、心の柱として受け継がれた日本刀、21世紀の私達も次の世代へと大切に確実に伝えて行かなければならないのです。 長い歴史の中で私達日本人は、何度も国難に遭遇してきました。コロナ如きで右往左往してはいられません。こんな時だからこそ、日本刀を心の柱に静かに時を過ごしていただきたいと思います。

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