鉄の魅力について

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日本刀は玉鋼と言われる鉄の中でも最高のもので造られている。日本刀の魅力は鉄という素材の強さ美しさであると言っても過言ではない。

製鉄の起源

では鉄はいつ頃どのように日本に伝わり、崇高なる鉄として日本刀という形になったのであろうか。

ヒッタイト帝国

製鉄技術は、紀元前1400年~1200年に黒海の南小アジアにあったヒッタイトに始まると伝えられている。2017年、日本人考古学者により、アナトリア半島(現在のトルコ)にあるカマン・カレホユック遺跡の紀元前2250年~2500年の地層から人工の鉄の塊が発見されたことにより、鉄をもった民族がヒッタイトの前に存在したとされているものの、何という民族であったかは分かっておらず、人工鉄を本格的に国家生産したのはヒッタイトであったと考えられている。ヒッタイトは黒海の北の大草原から南下し、その先住民族を滅ぼし、製鉄の技術を取得したと想像される。その時代周辺民族には青銅技術しかなく、青銅を打ち破る堅く強く鋭い鉄の武器を所持したヒッタイトはバビロニアを制覇し、ヒッタイト帝国を樹立し繁栄するのである。

ボアズキョイ(現トルコ共和国、ハットゥシャ)のライオンの門

ヒッタイトは、青銅の鎧をも突き抜ける鉄の槍や武具の製鉄技術を国家機密として決して外に漏らさなかった。製鉄所は高い塀で囲まれ、中で働く者達は一生閉じ込められていたと言う。

たたら製鉄

そんなヒッタイト帝国もエジプトに敗れ、アッシリア時代に鉄製品は利器として周辺各地に拡散し、西アジアから、東アジアへと伝わり、弥生時代頃日本に到達したものと考えられている。

日本に伝わった製鉄技術は、日本独自の鉄製法として発展、「古代たたら」は6世紀頃には全国に分布した。鉄鉱石が主流であった古代たたらの時代を経て、鍬や鎌等の利器の生産から、7世紀から11世紀にかけての「中世たたら」では砂鉄が主流となり、本格的な日本刀の生産が始まる。須佐之男命の八岐大蛇退治も中世たたらの始まりの頃の話である。八岐大蛇の尾から取り出された、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は三種神器となり現在は名古屋の熱田神宮にご神体として祀られている。 武士の誕生と共に鉄製武器の需要の高まりは、日本刀の発展に大きく寄与し、鎌倉時代に至り、日本刀黄金期を迎える。鎌倉末期の蒙古襲来、南北朝争乱期、応仁の乱から始まる戦国期、日本刀の需要は益々高まり、山城、大和、備前、相州、美濃と今で言う日本刀区分五ケ伝と言われる特徴ある産地が生まれる。戦のない江戸期に入っても、たたら製鉄の技術は発達し、元禄時代頃には天秤ふいごの登場により、生産拡大につながっている。

大板山たたら製鉄遺跡の 製鉄炉と天秤ふいご跡

独自の進化を遂げた製鉄

日本の優れた鉄生産技術には、日本刀が大きく影響していると思われる。折れず曲がらず良く斬れるの言葉通り、その特異性を満たすべく、技術革新を続けてきたに違いない。そして、その創意工夫は、美しく見事な鉄を生み出した。日本にあった良質な砂鉄、たたら製鉄に無くてはならない木炭を作るための森林、清く豊かな水、その全てを日本の風土が満たしていたことも、日本の鉄の優秀さを生み出した根源であったと思われる。

世界でも最も純粋な鉄、「玉鋼」、その見事で朽ち果てぬ鉄で造られた日本刀は、千年の時を経てもなお今も美しく輝いている。日本の武士道と共に武器であっても武器ではなく、造形芸術を超えた神格的な存在として、精神と魂を繋いできたものこそが日本刀である。

日本の鉄鍛錬の見事さ、美しさは日本の豊かな風土、日本人の特異な気質なしでは生まれなかったであろうと思われる。

我欲を捨てさせ心を無にし神秘を感じさせる「鉄」には、金、銀、銅にはない、日本の歴史の中で育まれた言葉では言い尽くせぬ「鉄(かね)」の魅力がある。 そして、それは大切に伝えられてきた日本刀の中に見ることが出来るのである。

日本刀の本質は地鉄にあり
天田昭次著

「日本刀の本質は地鉄にあり」

日本刀の鉄に生涯をかけて研究を尽した人間国宝天田昭次の名著 日本刀の鉄に興味を持たれた方は是非とも読んでいただきたい一冊

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